ロレンツォ・ギベルティの人生

フィレンツェの金細工師バルトロ・ディ・ミケーレの子として生まれる。幼い頃より細工師としての修行を積むが、フィレンツェの政情不安と伝染病の蔓延により、一時ペーザロに赴く。しかし、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の門扉見本の製作競技を知り、帰国する。

門扉見本競技の題材は『イサクの犠牲』であり、これにはフィリッポ・ブルネレスキ、シモーネ・ダ・コッレ、ニッコロ・ダレッツォ、ヤコポ・デッラ・クエルチャ、フランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーナ、ニッコロ・ランベルティが参加した。1402年末あるいは1403年はじめに、門扉競技委員会はロレンツォ・ギベルティを全員一致で推薦する。ただし、ブルネレスキの経歴によれば、競技委員会の見解はギベルティとブルネレスキを優勝とし、両者が門扉の製作を行うこととしたが、ブルネレスキはこれを辞退したと伝えている。両者の作品は、今日、バルジェッロ国立美術館に隣り合わせで展示されている。

ロレンツォ・ギベルティ

ロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti、1381年頃 - 1455年12月1日)は初期ルネサンスの彫刻家、金細工師。鋳造技術においては並ぶ者のない腕前を示し、その技量は今日においても賞賛されている。フィレンツェ随一の芸術家であり、彼の工房はドナテッロやパオロ・ウッチェロ、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオら優れた芸術家を輩出した。

ウッチェロの影響

ウッチェロは、15世紀のイタリア絵画を代表する人物の一人であり、その評価は後世においても変わることはなかったが、しばしば、遠近法の関心が彼の想像力を奪ったとの指摘をされることがあった。画家というよりも数学者として位置づけられたことすらあるほどである。また、同時代の画家であるマザッチョらに比べると、時に不自然にさえ感じられる鮮やかな色使いは国際ゴシック様式の影響であるが、それが写実性を重んじるルネサンス後期の画家たちにとってはあまり受け入れられなかった。彼のゴシック的幻想と幾何学的世界の融合があらためて評価されるのは、20世紀になってからである。

パオロ・ウッチェロの最高傑作

ジョルジョ・ヴァザーリによれば、1445年にドナテッロに呼ばれ、パドヴァのヴィタリーニ邸のフレスコ画の作成を行ったとされるが、その他の資料によって確認されているものの、初期の代表作とされるこれらのフレスコ画は現存していない。1440年代に作成されたフレスコ画は、サン・ミニアート・アル・モンテ教会とサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に残っている。特にサンタ・マリア・ノヴェッラの『大洪水と終息』は、彼の最高傑作として言及される。

パオロ・ウッチェロの経歴

1397年頃に、床屋兼外科医の子としてフィレンツェに生まれる。1412年頃にロレンツォ・ギベルティの工房に弟子入りし、1415年にはフィレンツェ医師薬剤商組合に登録されている。また1425年から1427年頃まで、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂のモザイク装飾に携わった記録が残されている。

ヴェネツィアのフィレンツェ大使の推薦を受け、1431年にフィレンツェに帰国した彼は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の仕事を受けることになった。1436年にはフレスコ画『ジョン・ホークウッド』(ジョヴァンニ・アクート)を完成させ、他に西壁の時計の文字盤と、ドーム下部のステンドグラス3枚をデザインしている。

パオロ・ウッチェロ

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パオロ・ウッチェロ(Paolo Uccello, 1397年 - 1475年12月10日)は初期ルネサンスの画家。国際ゴシック様式の潮流と遠近法に代表されるルネサンスの科学的アプローチを融合させた絵画を創出した。しかし、あまりにも遠近法に固執したため、ルネサンス後期の画家のみならず、19世紀のロマン主義においてもしばしば批判の対象となった。

マサッチオ

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マサッチオ(Masaccio, 1401年12月21日 - 1428年)は、ルネサンス期のイタリアの画家。 サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれ。本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ(Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai)。

マサッチオは27歳の若さで夭折しており、絵画史上に残る巨匠のなかではもっとも短命の一人であったが、後のルネサンス絵画のあり方を決定づける方法的モデルとなる作品を残した。その意味で建築家フィリッポ・ブルネレスキ、彫刻家ドナテッロと共に、ルネサンス美術そのものの創設者の一人であるともみなされている。

フラ・アンジェリコ

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フラ・アンジェリコ(Fra Angelico, 1387年 - 1455年)はイタリア、ルネサンス期の画家。

本名はグイード・ディ・ピエトロ(Guido di Pietro)。15世紀前半のフィレンツェを代表する画家である。フラ・アンジェリコ(天使のような修道士)という通称のとおり、その作品は清らかで深い精神性に満ちている。
フィレンツェ近郊のヴィッキオの出身。1387年に生まれ、1420年前後にドミニコ会の修道士になったと考えられている。修道名をフラ・ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレと称したが、この名は1423年の時点で確認できる。