日本の歌
有間皇子、みつから傷みて松が枝を結ぶ歌二首
岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへり見む
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
・・・謀反をくわだてているという疑いをかけられて、斉明天皇の行幸先紀の湯(今の白浜温泉)へ呼び出され取り調べられるはずの皇子が、途中の岩代の松の木に宿る道の神にその命の安泰を祈った歌です。
この結び松は海をへだてて遙か南に白浜を望む海岸の上にあります。
こういう道のほとりの地物に拠りついている霊は、それほど霊格の高いものではありませんが、それだけに旅する者はその霊にささげ物をし、慰撫して通らないと思いがけぬ障害を与えられます。
捧げる物は多く、布や幣畠、あるいは矢や食物、時には
足柄のみ坂かしこみ曇り夜のわが膿へを藤つるかも
・・・というように、わが胸に秘むべきことを告白しなければならなかったのです。
有間皇子と結び松に関する歌で面白いのは、実は皇子の歌のあとに収められている後人の歌です。
長忌寸意吉麻呂、結び松を見て哀しび咽ぶ歌二首
岩代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも
岩代の野中に立てる結び松こころも解けずいにしへ思ほゆ
これは、山上臣憶良の追和する歌一首。
鳥翔なすあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ